Scrambled Egg

Kenzoです。映画、音楽、写真、旅が大好きな25歳。なんやかんやと記録していきます。

SIMフリースマホに変えるまでの2年。

SIMフリースマホに変えました。

 

今年のはじめに、大手キャリアのiPhoneからSIMフリーのスマホに携帯をチェンジしました。

理由は単純明快で、毎月の料金が高いので安くしたかったからです。

一言で済む理由でしたが契約という鎖によって結構面倒なことになり、色々と苦労しましたそれについてはまた別でまとめようと思います。

 

出会い

僕が使っていたのはデカイ画面が話題になったiPhone6plus64GBモデル。

「携帯で映画とか観たい」とかいう、確実に速度制限という名の地獄にいきつく儚い夢を抱きながらチョイスしたのを今でも覚えています。

 

読む気の失せるような文体で、実に多くの制約を事細かに記した契約書にさらりとサインし、手にした新しいiPhone

これでワシも最先端シャレオツデバイスのユーザーや!!と、わけのわからない高揚感をどこからか発生させて鼻息を荒くしておりました。若いですね。

 

しかし振り返ると、彼女と過ごした濃密な2年間がこれからの僕にとって、ものすごく重要じゃないか?と思えたのでここに綴ってみます。

 

初の海外デートはフィリピン。

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まず、変えてすぐに、幸運にも仕事でフィリピンに行くことになり、そこで誕生日を迎えたのでした。いきなりアジアを股にかけるデバイスに!

 

明日を楽しもうぜ!ということで一番高級とされるクラブに連れて行ってもらったんですけど、無表情でテキーラのストックを作り続けるおばちゃんのスピード感が怖かった。「運ぶのも楽だし」とのことで車椅子で移動させてもらうくらいには酔っ払いました。

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見ただけで吐きそう。

次の日ちゃんと起きて二日酔いもなく仕事した自分を褒める。改めてもう一度褒める。

 

年末は、世界一忙しい街ニューヨークで親友と年越しをしたのでした。もうほんと、言葉選びも面倒なほどに寒くて。コタツ×ミカンがいかに優れた組み合わせかと感慨深くなりました。

でもその年は今までにないくらいに暖めの冬だったそうで、僕らが帰国した次の日にはマイナス20くらいになってて戦慄しました。そこまでの備えなかったわ、危ねぇ。

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人生最高の思い出の一つです。

 

卒論もギリギリ。学べることのありがたさもわかってないフザけた不真面目な学生でした。情けない話です。

 

卒業旅行は3カ国をめぐるヨーロッパ旅の予定でしたが、祖父が体調を崩していたので僕は途中でフランスにお見舞いに行かせてもらいました。

「じゃあまたヴェネチアで」

バルセロナで別れ、ヴェネチアで合流しようという世界一洒落た待ち合わせ。

この時点で僕の彼女(iPhoneは世界を股にかけるデバイスになっていました。えっ、ウソ、元からだったの!?自慢の彼女だわ。

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バルセロナは街も文化も天気も飯も最高で、ほんとにオススメです!誰もが楽しめると思います。

 

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ヴェネチアは何もかもが自分の住んでいるところとは違っていて、心地良い迷路の街でした。夜は迷うとお漏らしするレベルで寂しくなるので、文明の利器を使う心構えは必要です。が、美しい、とその一言のお漏らしをしてしまう素敵な場所でしたね。

 

卒業と、研修

 

なんとか無事に卒業して、入社式を迎えて研修を受けて。

行儀よく真面目なんて出来やしなかった。窓ガラスはさすがに割ってません。 

 

全国各地に散らばった同期たちはたくさん病んでいったり悩んだり、なかなかすごかったです。仕事を楽しめない自分、割り切れない自分に気づき始めた僕は少しずつ、不真面目な学生の延長だった足りない頭で

「働くってなんだろう」と考えるようになりました。やっとこさ。

 

特に何も成し遂げてもいないのに「お前は必ずすごい男になる」とものすんごい期待されていたのはありがたい話で、チャンスではあったと思います。

それに応えたいとは思いつつも、「いいからこうやれ、圧をかけろ、しつこさが勝つ」「お前に足りないのは気合」という学名ゴリラゴリラゴリラばりのフィジカルスタイルには根負けしちゃいました。

 

元来そういうことができるタイプじゃない、とやっとそこで気付くわけですね。

 

これを売れと言われているから、これを売れば評価されるから、ヤイヤイ言われなくて済むから。

怒られないように、文句を言われないように。それってどうなの?漠然としている上に生意気な考えかもしれませんけど。

 

そうして行き着いたのが、僕は何がしたいんだ?という疑問でした。

自分で考えて何かに取り組む、ということがない浅くて中途半端な自分がイヤになって、情けなくて涙が出ました。止め処なく。

 

今生の別れ。

 

僕はこういう人生にしたかったはずで、こういうことが大好きだったはずで、こういうことに挑戦したかったはずだ。

思いつくままに書き起こした、決して大きくはない希望や夢の数々が、A4ルーズリーフ一枚の両面を真っ黒にしていました。たった一枚ですけど。

 

そこに、今やっている仕事の中身は一切含まれていません。あれ?

なんてわかりやすいんだろう。…..辞めたい。辞めたほうがいいんじゃないか。僕みたいな中途半端な甘い人間こそ、苦労してしまえばいいんじゃないかしら。

 

色々考えながらも、うじうじして2年目を迎えてしまった折に、父からメールが入りました。

「おじいちゃんが最期の瞬間を迎えようとしているから、もしよかったら電話してあげてほしい」

実は同時期、またも大きく体調を崩したということで、父は弟妹とともに祖父の元に駆けつけていたんですね。まさに最期の報せでした。

 

「おじいちゃん、僕は弱い。あなたのように強くて素敵で、愛情を示せる人になりたい」

 

耳元に響く呼吸器の音を聞きながら、嗚咽交じりにそれだけ電話で伝えました。国境を越えて離れて暮らしていたので、おじいちゃん子ということもなかったし、たくさんのことを語り合えたわけでもないんですけど、それでも記憶にあるあの人は、ジョークと旅と芸術が大好きで、いつでも笑っている素敵なおじいちゃんでした。

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葬式にはバカンス休暇を消化する形で行け、と言ってきたオフィスで、追い討ちでいただいたこの一言は忘れようもありません。

「じいさんと思い出あんのか?」

なんでそう言いたくなるのかはわからなくもないのですが、結構辛かったなあ。

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それから程なくして、もう一人、本当にお世話になってばかりだった方が亡くなりました。祖父と同じ病気で。

若輩者で何にもない僕をいい子だと、素敵だと褒めてくれて、価値あるものを教えてくれて、楽しむってこういうことと体現してみせ、人生を笑って生きた人でした。

 

お世話にしかなっていない人が意外な形で、あっ、とも言えない間に、居なくなるんですよね。

最後にありがとうって言ったのいつだっけ?と思ってLINEを開くと、その人らしいなって感じるようなキラキラした元気な絵文字と

相変わらずな砕けた文体が並んでいるんです。

 

「こんにちは!お元気ですか?最近お会いできてなくて寂しいです。またみなさんでご飯行きましょう」

返事どころか既読すらつかないのはわかってて、それが怖くて送れませんでした。

 

この二人に胸を張れる生き方してるか?

 

してない、と胸を張って言えた。そんな生き方してない。何をしていこう、何をすればいいんだろう。

それすらわからなかったんですが、とりあえず好きなこと、好きなものを並べていって、心持ちを楽にできる場所をまずは探そう、ということにしました。

それが今いる場所です。iPhone6plusとの付き合いはここでちょうど2年。

正しいかはわかりません。給料は良くないですし、不便なことの方が多いです。会社というのもまた一人の人間のようにいろんな表情があるので、今は今でいろんな問題があります。

 

ですが、「学んでみたい」「知りたい」「もっとこうしたい」そう思うことを毎日継続して取り組めているので、毎日の出来事が”良い巡り”が来ているように捉えることができています。まあ、ただの勘違いかもしれないんですけどね。

 

明日は何をしようか。自分で考えて、自分でちゃんと今を生きる。言葉にするとちゃっちいですけど、それがこの2年を振り返って思えたことでした。

 

明日も楽しんでいきましょ。